はじめまして。まるや ゆういちと申します。
今、僕は、政治家、芸能人、起業家・・・さまざまな分野の著名人を撮影する一方で、【未来を変える写真家アカデミー】を主宰しながら、未来の写真家たちを育成しております。
今でこそ、プロの写真家としても、口コミだけで、撮影依頼が舞い込むようになりましたが、昔は、全くそんなことありませんでした。
僕がなぜ写真家になろうと思ったのか、なぜ未来を変えてしまう写真家アカデミーを開講しようと思ったのか。
僕の半生を10分弱の手描きアニメにまとめましたので、お手すきの際にご覧ください。
自己紹介を手描きアニメにしました
これより下は、動画で話しているものを文章として書き下したものですので、動画を見た場合は読まなくても大丈夫です。
音を出せない、という方は▼こちら▼を読んでみてください。
青森の田舎で生まれました
僕は、1974年2月に青森県で2番目に人口が少ない、小さな村で長男として生まれました。父は出稼ぎの大工さん、母は給食センター勤務をしていました。
僕の名前を考えるのも、村の親戚一同集まって名前をつけるために朝から晩まで三日三晩、どんちゃん騒ぎ!
今では、日本中を飛び回っているのに、生まれてから1歳を過ぎてもなかなか、立って歩くことができなかったそうです。
そして、極め付けは、毎日のように婆さんにベロベロ舐められていたらしく、肌がかぶれていたらしい(笑)が、とにかく健康ですくすく育つことはできたので、両親には感謝しています。
とにかく、ド田舎で育ったので、常に僕のそばには自然がいっぱいでした。
山にアケビを撮りに行ったり、ターザンごっこをしたり、
冬は、もちろんソリなんかもしていました。
昔から、雑学が大好きで、人が知らない雑学をたくさん吸収していました。
そして、みんなに知られていない雑学を披露するときに見られる、喜んでいる顔が好きだったのを今でも覚えています。
ただ、一方で・・・雑学は得意だったのに、勉強はてんでだめでした。。。
特に、理数系ができない、典型的な文系人間でしたが、
彫刻では、何度も指を切るありさまで不器用、
スポーツだってさほど得意ではありませんでした。
高校は、偏差値38の工業高校にも関わらず、
勉強についていけなさすぎて、本気で中退を考えていたほど。
ですので、高校生活は、本当にしんどい思い出ばかりだったんです、、、
上京→挫折→大工!?
そんなこんなで散々だった高校生活だったので、
18歳で卒業と同時に上京をしたんです。
上京してすぐに、洋服屋さんで働き始めましたが、
「おしゃれするのが好きだったから」
という単純な理由でした。仕事はプロ意識を常に持っていたからか、数年後には、店長に抜擢されるようにまでなりました。
でも、店長として、働かせてもらってはいましたが、、、
売上を落とし続けてしまい、一つの店舗を潰してしまう事に。
まさに挫折。
それから、23歳で5年間勤めた洋服屋さんをやめて
東京で出稼ぎをしている父親のところへ
転がりこみました。
そのあと、実は、2ヶ月ほど、ニートになっていて(笑)
「今後、どうしようかな。。。」
なんて考えている時に父親から家業であった
「大工を手伝え」
と言われて、言われるがままに、手伝うことにしたんです。
初めは、2、3ヶ月でやめよう、って思っていたんですが、
給料がよくて、みるみるうちに貯金だけは増えていきました。
そこから結局、7年間ぐらいは大工をしていたんです。
カメラの楽しさに出会う
そして、カメラに出会ったのは、
大工で貯めたお金でタヒチに旅行に行った時のこと。
「せっかく良いところに行くんだから!」
と思い、フィルムのコンパクトカメラを買いました。
これが人生で初めてのカメラです。
タヒチにいくと、目の前には
ものすっごくキレイな青い海や
日本では見られない景色が一面広がってて、
無我夢中で目に写るキレイなものを
バシャバシャカメラに納めていきました。
ですが、、、
帰ってきて、現像してみると、あんなに感動した景色が一切映ってない。
「うわ〜、、、あの感動が全然ない、、、」
と肩を落としていた一方で、心の中では、
「カメラって、こんなに楽しいんだ」
という思いが湧き上がっていたんです。
ちょうど、大工を続けようかどうしようか悩んでいたこともあり、
「写真で飯が食えるようになりたい」
人生で初めて、本気でやりたいと思えたことに出会った瞬間でした。
納得のいく写真が撮りたい。
という気持ちも確かにあったけど、半分以上が、
「ただただカメラが楽しくて、好きだ!」
っていう衝動でした(笑)
それからというものの、
大工の仕事が17時に終わったらすぐに、
大手量販店でカメラを触りまくり、カタログを持ち帰っては、
気になった製品があれば、本屋さんで情報を集めに行く、、、
とにかく、大工をしている時以外は、頭の中は、写真でいっぱいになっていました。
それから、カメラをやっていることが友人の耳にも知れ渡り、
素人ながら、結婚式の写真を撮ったり、
紹介のような形で少しずつお金をいただきながら、
撮り始めるようになりました。
今考えるとよく、お金をいただけていたと思う。
「習うより慣れよ」っていう気持ちがあったので、
特に学校で習うことは考えていませんでしたが、
いくら良い機材を集めていたとしても、納得のいく写真が全くとれず
「こんなんで、プロとしてカメラ一本でやっていけるのか?」
そう思ったのがきっかけで、プロの養成講座に入ることにしました。
養成講座には、自分に足りなかったこと、
学びたかったものが揃っていたので、本当に楽しかったです。
「自分の望んだ世界がここにある。」
そう感じていました。
そのうち、養成講座の師匠からアシスタントとして、活動をさせてもらいながら、自分で撮影をしたり、写真教室を運営しながら、撮影を教える講師としても活動するようになっていったんです。
「カメラと写真に囲まれて仕事ができる」
本当に幸せな日々が続いていました。
ところが、、、
3.11 そして、写真家として独立。
2011年3月11日。
全て一変しました。
当たり前だと思っていな日常が一瞬にして、崩れ、流されてしまった時、
僕の中で、何かが変わりました。
うまく言えないけど、変わったんです。
それまで、写真家として、いろんな現場を回りながら、
どこかで独立のことは考えていましたが、あの時に
「今がタイミングなんじゃないか」
って思ったんです。
ただ、独立したのは良いものの、正直、仕事には困っていました。
僕は良い機材、良いレンズを持って、
キレイな写真を撮れる自信はありましたが、
それでも収入の面では、やっと生活できるぐらいの収入しかありませんでした。
フォトグラファーの方達が登録をするインターネットのサイトがあったのですが、
そこからぽつぽつと仕事を受けるぐらいで、
あとは、独立前から知り合いだった人のツテで、
なんとかやっていけているという感じだったんです。
心が動く『良い写真』との出会い
そんな、パッとしない独立時代を変えたのは、
ある女性の写真家さんとの出会いでした。
僕が参加をしていた講座に彼女も一緒に参加をしていたのですが、
彼女のカメラやレンズは明らかに僕のより、グレードが下のものでした。
しかし、彼女が撮影する写真は・・・
誰が見ても、胸が熱くなる「良い写真」だったのです。
明らかにカメラに投資をしているのは僕の方でしたが、
そこまで高価でもないカメラを使っていた
彼女の方が圧倒的に『良い写真』を撮っていた。
本当に悔しかったのを今でも覚えていますが、
この時の経験が僕の写真を大きく変えることになりました。
そして、今では・・・
心が動き、感動するような『良い写真』との出会いが
僕の写真家としての人生を大きく変えました。
それまでは、良いカメラや良いレンズ、良い機材を使って、いかに写真を撮るか。
ということにこだわっていました。
確かに、そうすれば『キレイな写真』は撮ることができます。
ですが、そのままでは、人の心を動かし、
感動させるような『良い写真』を撮ることはできなかったんです。
僕の中で、プロとして独立をしているというのは、
「写真がうまいか」だけじゃなく、
それだけで生活がちゃんと成り立っているか。という気持ちがありましたが、
本当の意味で収入にも困らないようなプロの写真家として、
独立をしているとは言える状態ではありませんでした。
ですが、『良い写真』と出会うことができ、
僕自身も『良い写真』が撮れるようになったことで、
本当の意味で独立ができるような収入を得ながら、
クライアントさんのことも感動させ、さらには、
クライアントさんの人生も変えてしまうような写真が撮れるようになったのです。
今回、あなたにお伝えする『未来を変える写真家アカデミー』では、
僕が今までの1000名以上、撮影してきた中での経験、スキルを全てお伝えしていきます。
そして、今度は、あなた自身が
『未来を変える写真家』として
活躍できるようになってほしいと心から願っております。
本編の動画はこちらをご覧ください
第1話 未来を変える写真家とは?
未来を変える写真家とは何なのか?なぜ動画の時代である今、写真家が求められているのか?カメラを仕事にして月収50万を超え独立するには何が必要なのか?そしてなぜ、僕があなたにこのスキルを教えてしまうのか?
第2話 プロ並みの撮影スキルを身につけるテンプレートとは!?
未来を変える写真家になるには、撮影スキルは最低限で大丈夫です。撮影テンプレートを使えば、いきなりプロ並みの撮影が誰でも簡単にできてしまいます。そんな撮影テンプレートを、実際の撮影風景とともに公開します。